『国際政治経済塾』

投資のチャンスを確実にモノにするには、世界にアンテナを張り巡らし、お金の流れを機敏に察知する必要があります。元外交官の経験を活かし、一見違う視点で、世界の政治とお金の関係を、リアルタイムで説明します。

みずほコーポレート「消えた社史」と外資導入ビジネスの罠

「日本興業銀行史」をめぐる不可解な事実

何度もこのコラムで書いてきたとおり、今、私たちは金融資本主義の激変期に生きている。個人投資家という観点だとどうしても目先の出来事に目を奪われがちだ。そのため、世界の巨大な構図が人知れず変わりつつあることには、ついつい無意識になってしまう。


誰にでも手に入る公開情報とあわせ、限られた人的ネットワークの中だけで入手できる非公開情報を集めていると、マーケットとそれを取り巻く国内外の情勢が急変する直前には、かえって不気味な静けさが目立つ時があることに気付く。5月に入り、そんな状況が続いている。


そんな時にはどうしたら良いのか?「歴史」に立ち返るしかない。結局のところ、皆がさまよっているに過ぎない街を歩き回るよりも、史書を紐解いた方が知恵は湧くというわけである。


そんなわけで私自身、最近は集中的に戦前の日本における金融資本主義史を研究している。その中で大変気になったことが1つある。


それは、日本を代表する銀行である「みずほコーポレート銀行」をめぐる歴史である。かつては「日本興業銀行」という名前であったこの銀行は戦前、国策によって創られた特殊銀行だった。その歴史を綴った社史は「50年史」「75年史」「100年史」の3つがある。今、私の手元にあるこの3つの社史を読んでみると、そこで明らかに記述の濃淡があることに気づくのだ。


最も決定的なのは、法律によって1900年に設立が決められてから、第二次世界大戦に至るまでの歴史に関する記述である。1957年に刊行された「50年史」においては、かなり詳細な記述がある。ところが、「75年史」「100年史」と最近のものになるにつれて、不思議と戦前期に関するページ数が薄くなっていくのだ。実に不可解である。

日本のメガバンクたちはなぜサブプライムの罠にはまったのか?

去る19日に発売を開始した『反外資の系譜 〜明治維新より日仏銀行に至る顛末〜』(IISIA歴史叢書・第1巻)において記したのであるが、日本興業銀行はそもそも“外資導入”を国策として行うためにつくられた銀行であった。そもそも江戸幕府から全く財源委譲を受けずに成立した明治政府は、いわば万年金欠状態にあった。そのため、「困った時の外資頼み」は最初から明治政府にとって十八番だったのである。


最初はロンドンやパリで少しずつ国債を発行していたのであるが、そろそろ本格的にやろうというわけで、鳴り物入りで創られたのが興銀だったというわけである。外資導入は何ともオイシイ商売だったようで、「なぜ興銀が外資マネーを独占するのか」と国会で何度も議論になっていたのだから驚きだ。外資勢の甘い蜜にたかる一部の日本人という構図は、今も昔も変わりはない。


つい先日、日本のメガバンクたちは“想定外”の巨額損失をサブプライム関連で被っていることを公表した。とりわけ目立つのがみずほフィナンシャル・グループの損失だ。日本のメガバンク全体で総額約1兆円の損失となっている中、その半分以上である6450億円余りもの損失を計上したのだという(5月21日付フジサンケイ・ビジネスアイ等参照)。


この突出した数字を見て、私が戦前日本で「興銀が外資マネーの甘い汁を独占しているのはおかしい」との議論が繰り返し行われたことを思い出したことは言うまでも無い。確かに、サブプライム問題は直接投資という意味での外資導入とは異なっている。しかし、外にあるマネーを中(=日本国内)に持ってくることによって利益を上げるという意味では全く同じなのである。


「50年史」「75年史」「100年史」と時代を経るにつれて、戦前日本における外資導入ビジネスについて、自らの歴史を社史から消していった興銀の意図が理解できたように思えた。

「外資推進論」と「反外資論」を超えて

日本における金融資本主義の歴史で「語られなくなった部分」も含め、混迷を深める世界とそこに見え、またかつて見えた「潮目」について、私は6月7・8日に横浜・東京、6月27・28日に神戸・大阪でそれぞれ開催するIISIAスタート・セミナー(完全無料)でじっくりお話できればと考えている。


ちなみに日本興業銀行の幹部や、そのバックにいた政財界の大物たちは、外資導入ビジネスによる甘い汁を吸うのに熱心な余り、結局はそこにある「罠」には気づかなかったようだ。朝鮮半島、そして中国大陸、あるいは南洋諸島へと「軍靴とマネー」が日本より行進を続ける中、まず梯子を外したのは他ならぬ外資勢とそれが支える英米だったのである。一方、国内では維新以来、ずっと潮流としては存在していた「反外資論」の系譜を引く排外主義が一般大衆までをも巻き込み、ファシズムの嵐が吹き荒れることとなる。


外資導入論と反外資論との間で激突が再び見られるようになった今だからこそ、私たち日本の個人投資家はあらためて戦前日本を振り返るべきなのだろう。二度轍を踏み、再び破壊された日本へと戻らないためにも、この2つの対立を超えた“あるべき道”を求めるべく、賢慮ある日本人の意識と行動が求められているのである。

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筆者プロフィール
  • 名前:原田武夫(はらだ たけお)
  • 1971年生まれ。1993年東京大学法学部を中退し、外務省入省。
  • 経済局国際機関第2課、ドイツでの在外研修、在ドイツ日本国大使館、大臣官房総務課などを経て、 アジア大洋州局北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)を務める。2005年3月末をもって自主退職。現在、原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
  • ⇒原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)公式ウェブサイト

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