急増する自社株買いは本当に株価上昇の要因か

自社株買いが過去最高を記録

企業の自社株買いが急増しています。野村証券金融経済研究所が07年4月に発表したデータによると、06年度の自社株買いは総額約7兆5,000億円と前年度より5割近く増え、過去最高を更新しました。実施企業数も、前年度より53社増の654社で、4年ぶりに増加に転じました。

自社株買いとは、企業が自社の株式を市場などで買い付けることです。市場での流通株数が減少し需給が改善するため、株価を適当な水準に回復させる効果があるといわれています。また、利益が一定で流通する株数が減れば、1株あたりの利益率は高くなります。そのため、株主還元策として捉えられることが多くあります。

自社株買いを実施した企業上位をみてみると、三菱ケミカルホールディングス(4188)やトヨタ自動車(7203)、アステラス製薬(4503)など12社が1,000億円以上を投入しています。また、その中には、武田薬品工業(4502)やキヤノン(7751)など、初めて自社株買いを実施した企業が含まれていることも注目すべき点です。

また、第一三共(4568)は2010年3月期を最終年度とする3ヵ年中期経営計画で、その間の総還元性向(配当と自社株買いの合計額が連結純利益に占める割合)を100%にするという目標を掲げています。

このように、最近では大型の自社株買いがトレンドとなり、株主還元策として歓迎される傾向にあります。【ポイント1】

自社株買いはなぜ増えるのか?

ではなぜ、自社株買いが急増しているのでしょう。企業が株主還元を真剣に考え始めたというのはもちろんですが、法改正により自社株買いがやりやすくなったことも大きな要因です。

元々、自社株買いは株式消却やストックオプションなどの目的でのみ認められていました。それが01年の商法改正で、目的を定めず金庫株とすることが可能となったのです。

また、03年の商法改正では、これまで株主総会の承認が必要だったものが、取締役会が一定の範囲内で自社株買いを実施できるようになりました。

加えて、企業業績が好転。それまで不況、業績不振に苦しんでいた時期は、借入金の返済などが優先されましたが、自社株買いを実施する余裕が企業にも生まれ、手元資金を有効活用し資金効率を高めるべく、自社株買いに向かっているわけです。【ポイント2】

日本企業が、三角合併の解禁に象徴される本格的なM&A(企業の合併・買収)時代に直面していることも忘れてはならない要因です。豊富な手元資金は「資産を有効活用していない」と批判される上、それを目当てにした買収のリスクもあります。

例えば、自社株買い付け金額が大きい医薬品業界は、時価総額で外資に大きく差をつけられています。日本で一番規模が大きい武田薬品工業でも、医薬品企業売上高世界ランキングでは16位。外資による買収リスクを避けるために、豊富な手元資金を活用し、自社株買いで需給を改善し、株価を上昇させようとしているのでしょう。

医薬品以外では、鉄鋼大手の自社株買いが目立ちます。実施予定分も含めると、新日鉄(5401)、JFE(5411)、住金(5405)、神戸製鋼所(5406)、日新鋼(5407)の今期の自社株買い総額は4,454億円で過去最高となる見通しです。これだけ巨額の自社株買いを行う背景には、世界的に業界再編が活発になっていることがあるのでしょう。

「自社株買い=株価上昇」は成立するか?

一般的には、自社株買いの結果として株価が上昇するといわれています。しかし、経済学を学んだことがある方は、「自社株買いは株価に中立」と学んだことがあるかもしれません。

ただし、これは「完全市場」と呼ばれる前提があった場合。完全市場とは、無税で、市場参加者が常に同じ情報を共有し、無リスクかつ自由に資金の借入・貸付ができ、市場の需給不均衡は瞬時に解消されるという市場のことです。

しかし、実際にはそんなことはありえません。例えば、市場参加者が常に同じ情報を共有しているという前提などは、常識的には考えられません。そのため、自社株買いでは「アナウンスメント効果」から株価が上昇することがあります。

外部投資家よりも情報量に長けている当事者が、自社の株式を買うわけですから、彼らが実際の企業価値よりも市場の価格が低いと考える根拠があるはずです。少なくとも部外者はそう考えるのが自然です。

その結果、自社株買いの発表が、最も多く情報を持っている当事者が「うちの株価は割安ですよ」とアナウンスしている効果を持つのです。結果、買いが集まり、株価が上昇することがあります。

しかし、自社株買いは、経営陣の意思表示の1つ。投資をしようと考えている会社が将来どうなっていくか、という大きな流れをつかんでいなければ、いくら自社株買いをしても株価が上がらないケースにぶつかることがあるでしょう。

キヤノンを例にみてみましょう。07年2月と3月に初めて2,000億円にのぼる自社株買いを実施しました。同社の株価をみてみると、第1回の1,000億円分の自社株を完了した3月9日終値が6,290円で、実施前の2月16日の6,550円を下回っています。

上海発の世界同時株安の影響もあったでしょうが、第2回の自社株買いが発表された3月9日以降の値上がり率も、日経平均の値上がり率と大差ないことをみると、自社株買いの株価への影響は決して大きなものではなかったといえるでしょう。

その理由として考えられるのが、自社株買いの資金の出所です。

キヤノンは東芝(6502)と共同で次世代薄型テレビのディスプレイ「SED」の量産に向け年内にも数千億円を投資する計画を立て、資金の準備を進めてきました。しかし、SEDの関連技術の供与を受けている米社との特許訴訟が難航し、東芝との量産計画は撤回に追い込まれてしまいました。

そこで当初予定していた投資資金を自社株買いに回したのでは?という見方が出てきたのです。ですので今回の自社株買いが積極的に評価されず、結果として株価もあまり上昇しなかったという考え方もできます。

自社株買いは確かに、増配と並び株主を向いた施策といえます。しかし一方で、高い株主還元率は、稼いだ利益を次のビジネスに向けて再投資するという成長戦略を描ききれていないことの裏返しともいえます。

キヤノンの場合が実際にどうだったのかは分りません。取得した自社株を将来のM&Aなどにも活用するといわれており、「成長戦略を描けていない」と言い切ることはできません。

しかし、「自社株買い=株価上昇」と単純に考えられないことは分るでしょう。自社株買いも企業各々の経営戦略の一環です。それがその企業にとってどのような意味を持つのか見極める必要があるのです。

自社株買いは確かに目先の材料になりえます。しかし、投資の基本はやはり企業を研究することではないか、と私は考えます。【ポイント3】

相場が分かる!今日のポイント

【ポイント1】
自社株買いの進捗率向上が株高を支えているという指摘もあります。予定として発表された自社株買い枠のどれだけが、実際に実施されたかをみる進捗率(金額ベース)は、4年前の30%台から06年度には83%まで急激に改善しているのです。自社株買いをするというアナウンスだけで実際には取得しない「裏切り」が少なくなり、株式市場が自社株買いを好材料として捉えるようになってきたのかもしれません。
【ポイント2】
株主還元が景気回復の恩恵だとすると、給与上昇も同様です。日本経済新聞社がまとめた07年賃金動向調査(一次集計、4月3日時点)によると、主要214社の賃上げ率(月例給与の上昇率)は3年連続で上昇し、前年比0.05ポイント高い1.72%になったといいます。すでに初任給を引き上げる動きも出てきており、株主還元と共に景気回復の指標として注目しておく必要があります。
【ポイント3】
「自社株買い=株価上昇」という単純な構図は、「株式分割=株価上昇」という構図を思い出させます。経営戦略の一環であることを忘れてしまうと、単なる株式投資のテクニックとなってしまいます。自社についての詳細な情報を持ってしても、業績の修正などは頻繁に起こります。経営陣が割安だと考えて自社株買いを発表した、だから買い、という単純な投資はくれぐれも注意したいところです。

自社株買いの結果、株価がどう動くかを予想するのは非常に難しいことです。そのため、自社株買いは、経営戦略と結びつけて考える癖をつけたいですね。キヤノンは分かりやすいですが、本当に自社株買いが最も優先順位が高い選択なのかを問いかけながら、投資すべきかの決断をすることが必要だと思います。(木下)

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木下晃伸(きのしたてるのぶ)

経済アナリスト、フィスコ客員アナリスト。1976年愛知県生まれ。南山大学法学部卒業後、中央三井信託銀行、三菱UFJ投信などを経て、現在は株式会社きのしたてるのぶ事務所代表取締役。(社)日本証券アナリスト協会検定会員。著書『日経新聞の裏を読め』(角川SSコミュニケーションズ)発売中。

投資脳のつくり方

マネー誌「マネージャパン」ウェブコンテンツ。ファンドマネジャー、アナリストとして1,000社以上の上場企業訪問を経験した木下晃伸が株式投資のヒントを日々のニュースからお伝えします。「株式新聞」連載をはじめ雑誌掲載多数。

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