『国際政治経済塾』

投資のチャンスを確実にモノにするには、世界にアンテナを張り巡らし、お金の流れを機敏に察知する必要があります。元外交官の経験を活かし、一見違う視点で、世界の政治とお金の関係を、リアルタイムで説明します。

為替の戦場としての「満洲」が示すものとは?

第2回金融サミット後のカギは「満洲」にあり

今週4月2日にロンドンにて、第2回目となるG20金融サミットが開催される。その趣旨は、未だ世界中で猛威を振るい続けている金融メルトダウンに対し各国協調の下に対応策を練ることにあると、差し当たりは言える。


しかし、賢明なるこのコラムの読者の方々は既にお察し頂いているとおり、この前提を揺るがすような不協和音が、既に各所で生じているのもまた事実だ。焦点の1つとなっている各国の追加経済対策に関しては、オバマ米政権による一層の公的資金拠出要請を、ドイツやフランスといった欧州の主要国はにべもなくはねつけたという経緯がある。ただでさえ財政赤字で火の車となっているのだから、これ以上の景気刺激策を行う余裕はなく、それも自国以外へカネを出すなど考えられないというわけである。そもそも当の米国自体がデフォルト(債務不履行)に陥りそうな州を複数抱えており、連邦と州を合わせると、その公的債務は天文学的な額に上る状態なのだ。


こうした事情を考えるだけでも、各国の国庫を少しでも潤そうという点で米欧の利害が一致する「タックス・ヘイヴン潰し」を除いては、第2回金融サミットが、実質的には何も決まらない会議になるであろうということは、推して知るべしだろう。


しかし、本当の問題はその先にある。即ち、期待外れの第2回金融サミット後に、一体何が生じるかということだ。 とりわけ、上で触れたように連邦と州を合わせた米国の公的債務は、もはや抱えきれない規模に達しているのだから。


この点、私の研究所はオバマ新政権がこの窮地を逃れるために残された一手がありうると考えている。それは国家としての破産宣言、すなわち「デフォルト宣言」である。既にそうした見方は、さしもの米系経済メディアも徐々に現地で伝え始めているので、漏れ聞いている読者の方々は多いことであろう。そしてそのことを前提として考えた場合、次に問題となるのが、この「デフォルト宣言」が日本経済に与える影響と、そこからの脱出策なのである。


そして、この脱出策を考える際に1つの有力な手がかりになると睨み、現在、私の研究所が考察を深めているのが現在の中国東北部、すなわちかつての「満洲」という巨大なプロジェクトなのである。なぜそうなのかといえば、1927年から始まる昭和恐慌、そして1929年以降押し寄せてきた世界大恐慌の荒波から、当時の日本経済が立ち直ることができたのは、高橋是清による積極財政(インフレ財政)の裏側で、そこで蓄えられた有り余る経済力のはけ口として、1931年の満州事変以降、「満洲」なる傀儡帝国を植民地として日本が確保し、これを相手に独占的なディールを展開できたからだったのである。


このことは当時の文献をひも解くといずれの本でも関連記述を見つけられるのだが、不思議なことに現在、日本史の教科書にはほとんど記されていないのだ。しかも、不思議なのはそれだけではない。そのようにして鳴り物入りに始まった「満洲」というプロジェクトが最終的になぜ、立ち行かなくなったのかということの背景に、実は為替マーケットでの日中間における大攻防戦があったということも、同じく教科書には全く記されていないのである。

“満洲”を舞台に繰り広げられた為替戦争

「東アジアの諸国に対する“侵略”は誤りだった」――このような教科書的な説明の是非をここで云々したいというわけではない。そういったことはとりあえず、しばらく前に物議を醸した元航空自衛隊最高幹部にでも任せておけば良いであろう。そうではなく、私がここで言いたいのは、戦後に生きる私たち日本人は「歴史そのもの」を埋もれた史料の中から探し出し、それを虚心坦懐に見つめるべきだということなのである。しかも、その際、最も有効なのが、「売った」「買った」「儲かった」「損した」ということが如実に分かる金融セクターに刻まれ続けてきた史実なのである。


その観点から、「満洲」にまつわり、大変興味深い史実を最近、学ぶことができた。それは、幻に終わった「満洲」というプロジェクトをめぐる為替相場の真実である(安富歩『「満州国」の金融』創文社・参照)。


1931年に起こした満州事変の際、関東軍(日本軍)が真っ先に占領し、接収したのは、現地で中国勢が展開していた金融ネットワークであった。このこと自体、余り知られていない史実であろうが、とにもかくにも関東軍の軍人たちは、「金融を制する者こそ、世界を制する」という金融資本主義における“常識”をよく心得ていたようだ。


しかし、そのことは対する相手、すなわち中国勢もまたよく心得ていたようだ。日本は満州事変の3ヶ月後にあたる1931年12月13日に金本位制を離脱する。そして上海事変が勃発したことなどが重なり、1米ドルあたり49.375円という公定レートを大きく割り込んだが、こうなる背景には日本勢がそれまで長年にわたり、中国北部と上海を結ぶ中心的なマーケットとして育ててきた大連マーケットにおける中国勢による売り崩しがあったのである。「大連商人」と呼ばれていた彼らは、その時、日本円を売って、売って、売りまくったのだという。


もちろん、相対する日本勢も負けてはいない。様々に圧力を講じる中、ついには「関東州・満鉄附属地為替管理令」の実施に踏み切ったのである(1933年10月)。これにより、さすがの大連商人たちも活動を停止せざるを得なくなったのだという。


だが、「歴史の皮肉」とは正にこの後の展開である。商売あがったりとなった大連商人たちは、糊口を拭うべく、天津の祖界地へと一斉に移動してしまったのである。その結果、手塩にかけて創り上げてきた大連の為替マーケットはすっかり没落し、逆に日本勢の手が届かない天津をベースに、中国勢たちは盛んに日本勢の対中国通貨政策を妨害し始めたのだ。


「貨幣を制するものは、やがて世界を制する」


その12年後、結局、日本勢が幻の「満洲」どころか、大陸における全てを失うことになったのは読者の方々もご存知のとおりなのである。

「規制強化」待望論が見落としているもの

こうした論点も含め、今後、激動が想定される“マーケットとそれを取り巻く国内外情勢”と、その背景にありながら私たち=日本の個人投資家が知ることのなかった歴史上の“真実”について、私は4月4、5日に東京・横浜で、4月18、19日に大阪・名古屋でそれぞれ開催するIISIAスタート・セミナーで詳しくお話できればと考えている。ご関心のある向きは是非ともお集まりいただければ幸いである。


迫る第2回金融サミットを前に、とりわけ大声で叫ばれているのが「規制強化」待望論である。確かに、米系“越境する投資主体”たちにさんざん食い荒らされた結果、現在の惨状がある金融マーケットにおいては、一定程度、規律の厳格化は不可欠なのかもしれない。


しかし、幻の「満洲」というプロジェクトと、その崩壊の原因ともなった大連商人たちの野太い動きを思い起こす限り、果して昨今のメディアを見る限り大勢を占めるにいたった観のある「規制強化」をもってだけして、現下の惨憺たるマーケットとそれを取り巻く国内外情勢が収まるとは到底思えないのである。取り締まりを嫌い大連を脱出し、その結果、日本勢がおよそ手の届かない天津で従前以上に暴れまわった大連商人たち。その姿は、現在の米欧系“越境する投資主体”たちといった金融資本主義における猛者たちと大いに重なるところがあるのだから。


今ではすっかり忘れ去られ、懺悔ないしは愛国心の「二者択一」という判断基準でしか語られなくなったきらいのある幻のプロジェクト「満洲」。しかし、だからこそ今、私たち=日本人が金融資本主義の織り成す当時の荒波の中で一体何を考え、どのように行動し、その結果、いかなる「潮目」が生じてきたのかを丹念に振り返る必要があるのではないだろうか。


それは、今後いかなる日本を築いていくべきかという喫緊の問いの前提となる作業であるに違いない。この未来志向の問いを考え抜くためのヒントについては、1月に上梓した拙著『大転換の時代――10年後に笑う日本人が今するべきこと』(ブックマン社、2009年1月刊)にて詳述したつもりである。日本の過去、現在、そして未来に思いを馳せる方々は、ぜひご一読いただければ幸いである。

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筆者プロフィール
  • 名前:原田武夫(はらだ たけお)
  • 1971年生まれ。1993年東京大学法学部を中退し、外務省入省。
  • 経済局国際機関第2課、ドイツでの在外研修、在ドイツ日本国大使館、大臣官房総務課などを経て、 アジア大洋州局北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)を務める。2005年3月末をもって自主退職。現在、原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
  • ⇒原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)公式ウェブサイト

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