日本で夜間取引は定着する?カギは「集団の力」

目標に遠く及ばなかった夜間取引初日

2006年9月15日、カブドットコム証券(カブコム)が運営する私設取引システム(PTS)を活用した株式の夜間売買が始まりました。取引時間は午後7時半から11時までです。企業が重要な発表を行うのは、後場が閉まった午後3時以降が多いですので、それ以降の材料で売買できるメリットがあります。一方で、米国市場の動きに対応できない点はデメリットといえるでしょう。

売買終了後に記者会見したカブコムの斎藤正勝社長は、「初日ということもあり取引は多くはなかったが、ひとまずきちんとシステムが稼働することが確認された。今後は機関投資家なども参加する見込みで、徐々に増えていくとみている」と語りました。

今回の夜間取引の対象は、東証1部上場企業を中心とする300銘柄。初日に売買が成立したのはそのうち47銘柄で、全体の16%となりました。また、約定件数は1日平均昼間約30,000程度あるものがその3%にとどまり、約定金額も昼間の2%と、目標の20%には遠く及びませんでした。

しかし、今回のカブコムの夜間取引市場の開設は、画期的なものだったといえます。日本での夜間取引の先駆的存在であるマネックス証券が運営する「マネックスナイター」は、原則として東証などの午後3時時点の終値をもとに決められた価格で売買できる「一本値」方式でした。

しかし、今回、カブコムは日本では初めて夜間取引に「オークション方式」を採用しています。オークション方式では、複数の投資家からの売りや買いの注文をシステムの中でつけ合わせ、発注の時間や価格に基づいて合致する注文を成立させる方式のことです。

つまり、買いが増えれば株価が上昇し、逆なら下がる。投資家の需給に応じて株価が変動するため、より市場実勢に近い価格で売買できるのです。【ポイント1】

激化するネット証券同士の競争

カブコムの夜間取引参入の発表後、他のネット証券も相次いで、オークション方式による夜間取引市場の開設準備を進めていることを発表しました。現在、参入を表明しているのは、SBIイー・トレード証券、楽天証券など5社連合と松井証券です。

夜間取引市場の開設に際し、カブコムは約17億円のシステム投資が必要だったといわれています。多額の投資をしてもなお、ネット証券各社が夜間取引市場の開設に積極的に取り組んでいる背景には、ネット証券同士の競争激化があります。

証券大手の野村ホールディングスが06年5月、「業界最低水準の手数料」を旗印に、インターネット専業の子会社ジョインベスト証券を発足させました。開業前に同社が発表した手数料は、売買代金100万円〜200万円で1320円と、他の大手に比べ約4割程度安いものでした。

ネット投資家の多くは、証券会社選びに際して手数料の安さを重視しています。そのため、各社とも追随値下げを余儀なくされました。イー・トレード証券は、1日の約定代金の合計額に応じて課金する「アクティブプラン」では、約定代金が10万円以下の手数料を無料にしました。

手数料の引き下げは各証券会社の収益を直撃します。加えて、各社がそろって手数料を引き下げたため、それだけでは他社との差別化を図ることができませんでした。そこで、新しいサービス、例えば夜間取引市場の開設で、顧客を囲い込むこもうとしているのです。

SBIイー・トレード証券、松井証券、楽天証券、マネックス証券、カブコムの5社全体でみた06年8月の口座開設数は373万で、前月に比べて5万3000増加しましたが、伸び率は1.4%で7ヶ月連続で前月を下回りました。しかし、夜間取引市場を開設すると発表したカカブコムのみが、伸び率で前月を上回り、増加数では、前月6600に対し8月は6800となりました。多少とはいえ、夜間取引市場の開設が、好影響を与えたといえます。

手数料の引き下げは投資家にとって明らかなメリットです。また、夜間取引市場の開設も、昼間働きに出ているため、取り引きができない人にとっては朗報でしょう。各社の競争は、投資家にとって歓迎すべきことだといえます。【ポイント2】

カギを握るのは参加者増による「集団の知恵」

今後広がると予想される夜間取引にはどういった問題があるのでしょうか。

オークション方式では、投資家からの注文が少なければ取引が成立しにくく、極端な価格の注文が成立して株価が乱高下することもありえます。となれば、売買高が薄いことに着目して株価を動かそうとする参加者が出てくる可能性もあります。

売買審査では、夜間の取引時間中に企業が発表した内容など取引時間中の様々な情報に臨機応変に対応し、売買停止などの判断を迫られる場合もあります。カブコムは、福岡証券取引所から売買審査の経験者を迎え入れるなど体制を整えているとしていますが、うまく機能するかは心配の種といえます。

また、各ネット証券によるPTSが乱立することで売買が分散し、市場の流動性が下がることも考えられます。そうなると、十分な売買を伴わないまま形成された株価は信頼に足るか、複数のPTSで違う株価がついた時に、どちらを信用すればよいのか、そうしたいびつな株価算定が、翌日の株式市場に影響を与えてもいいのか、などの問題も浮かび上がります。

このように、夜間取引市場は様々な問題を抱えています。しかし私は、こうした問題は、夜間取引への参加者が増えればある程度解決されると考えています。なぜなら、株式市場は多くの参加者が入ってくることで「集団の知恵」が発揮される場所だからです。

米人気コラムニスト・ジェームズ・スロウィッキー氏の“The Wisdom of Crowds (邦題『「みんなの意見」は案外正しい』)”によれば、「多様性」「独立性」「分散性」「集約性」の4つの条件が当てはまるとき、個々人の才覚以上に「集団の力」が発揮されることが、多くの事例から明らかになっています。

「多様性」
それぞれの構成者が、仕事、学歴、家族構成など、どれだけ異なるバックグラウンドを持っているか

「独立性」
構成者がお互いにどれだけ「赤の他人」か

「分散性」
それぞれの構成者がどれだけ地理的、心理的に散らばっているか

「集約性」
多様性、独立性、分散性のような違いがあるにもかかわらず、構成者が同一の目的に向けて同じことを考える時間、場所があるか

株式市場には「集団の力」と似た考え方「効率的市場仮説」というものがあります。これは、株価を動かす材料はすべて織り込み済みであり、株価は常に適正な価格を保つ、というもの。その結果、いくら努力しても、その労力を上回るリターンを得るのは難しいため、株価指数に連動するような運用が望ましいということになります。

現在、この効率的市場仮説は多くの機関投資家に支持されており、彼らは株価指数に連動する投資を行い、平均的なリターンを目標にする「パッシブ運用」を行っています。

夜間取引でも、カブコムの斎藤社長が記者会見で述べたように機関投資家の参加が増えることでしょう。機関投資家はいかなる場合でも、効率的な運用を目指します。そうすれば、市場の歪みは自ずと修正されていくはずです。

東証は、来年にも設立する持ち株会社傘下に専用子会社を作り、「夜間」に進出する可能性もささやかれており、市場参加者の厚み、つまり「集団の力」が発揮されやすい環境は整いつつあるといえるでしょう。

今後、参加者を増やしていくためには、システムトラブルを起こさないなど、各証券会社が、安心して参加できる環境を作ることが求められているのではないでしょうか。【ポイント3】

相場が分かる!今日のポイント

【ポイント1】
カブコムの斎藤社長は7月12日の発表会見で、「昼は忙しいサラリーマンでも気兼ねなく本格的な取引ができるようになる」と声を弾ませていました。カブコムは巨大なマイクロソフト製のシステムを導入した縁もあり、ビル・ゲイツ会長が定期的に本社に視察にくるほどシステムに力を入れてきた会社です。
「バックアップシステムの構築や社内体制の整備など、数年越しで入念な準備を進めてきた」オークション方式の夜間市場開設は、システム畑出身の斎藤社長が、長期間温めてきたプランでした。
【ポイント2】
PTS先進国の米国では、個人向けがあまり広がっていません。売買の量が減る夜間は必ずしも自分の思うような価格で取引ができなかったり、価格の変動が大きすぎて投機的になってしまうこともあり、個人投資家の参加意欲がそがれたと言われています。チャールズシュワブやモルガン・スタンレーなどが1999年に開始したものの、開始から2カ月間の注文が数件にとどまった例もあり、現在は夜間は翌日用の注文の受け付けのみに限ったところも出始めているのが実情です。
ただ、「米国などでは夜、帰宅した後まで、株式売買に精を出すスタイルはなじまない」との指摘もあります。一方の日本では24時間営業のコンビニで深夜に公共料金を支払ったり現金を引き出す客が増え、夜間の経済活動にさほど抵抗がないと言われています。米国とは違った発展を遂げる可能性も充分ありえるでしょう。
【ポイント3】
もともとネット証券各社は東京証券取引所に対して、夜間市場を設けるよう要望していました。それでも、東証が煮え切らない態度を続けたため、各社が見切り発車的なスタートになりました。確かに、流動性などを考慮すると、まだ問題は解決していない、という見方もできます。しかし、新しい市場を作り出すベンチャースピリットなくして、新しい成長、発展は期待できません。疑問や課題にばかり目を向けるのではなく、新たな市場に目を向け、いま起こっていることをしっかりと目に焼き付けることが重要なのではないでしょうか。それが、自分自身の経験値になり、新たな切り口で市場を見るきっかけになると思います。

以前私が勤務していた会社が、カブコムが属しているUFJグループだったということもあり、斉藤社長には一度お目にかかったことがあります。アイデアマンであるだけでなく、決断も早く、本当に優秀なビジネスマン、という第一印象でした。日本は新境地を切り開くベンチャースピリットを持った起業家には、やや厳しい国です。でも、それではいけない。最初から否定的なことを考えていては何も生まれません。私たちは投資家である以前に、斉藤社長のような起業家を自然と応援する姿勢を持つことが必要ではないか、と思います。(木下)

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木下晃伸(きのしたてるのぶ)

経済アナリスト、フィスコ客員アナリスト。1976年愛知県生まれ。南山大学法学部卒業後、中央三井信託銀行、三菱UFJ投信などを経て、現在は株式会社きのしたてるのぶ事務所代表取締役。(社)日本証券アナリスト協会検定会員。著書『日経新聞の裏を読め』(角川SSコミュニケーションズ)発売中。

投資脳のつくり方

マネー誌「マネージャパン」ウェブコンテンツ。ファンドマネジャー、アナリストとして1,000社以上の上場企業訪問を経験した木下晃伸が株式投資のヒントを日々のニュースからお伝えします。「株式新聞」連載をはじめ雑誌掲載多数。

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